社員数の増加により湯島オフィスが手狭となり、上のフロアを借りるかを散々悩んだ末に「全員が同じフロアで一体感を出したい」という結論に至り、断腸の思いで湯島オフィス及び皆の気持ちと時間が込もったB1FのBOOTHを離れ、オフィス移転を決断。
湯島オフィス末期は冬場にエアコンを入れると二酸化炭素濃度が上がりすぎるほどの人口密度で、外回りをメインに活動していたアッチ(近藤)などは自分のデスクを椅子を奪われ、帰社した際は脚立を椅子代わりに使う有様であった。
新しい移転先は創業の地・荒川区町屋。
当初は「デザイン会社らしくない」「お客さんが来てくれない」など、社内で様々な反対意見も出たものの、「表参道とか、いかにもデザイン会社がありそうな場所に移転して数ある会社のお尻のほうに加わっても仕方ない」「町屋で一番目立つ会社に」「むしろ我々が町屋の価値を上げる」と意気込みだけは気宇壮大に、自分たちでビル一棟の外観から内観までフルリノベーションした物件へ移転。
結果的に自社のインテリアデザインのショールーム的な要素も兼ね、より大きな規模で見せられ、使用が出来るようになった町屋オフィスで、ROOM810のブランディングは大きく飛躍を遂げることになる(誰も言わないので自分で言いました)。